당산서원 출판사 堂山書院/1964년 어느 종교 이야기

翻訳1-1

자몽미소 2021. 1. 22. 18:35

1964年、経済開発計画

この本の草稿を読んでいた知人たちに本のタイトルを変えたほうがいいじゃないかと言われた。なぜ「1964年」という年度が入っているか、朝鮮戦争が起こった1950年でもなく、ソウルオリンピックが開かれた1988年でもない1964年には、特別な意味が覚えられないし、その年に何か歴史的事件もなかったということだった。あえて「1964年」を書くより読者の好奇心を呼び起こすようなタイトルが良いという意見だった。私はこのタイトルから有名な小説「ソウル1964年の冬」を思い浮かべる読者がいるのではないかと言った。私の友たちは金承玉の小説を知ってそれを読む人だとしてもこの本に出てくる権力だの宗教だのといった研究書には関心がないだろうと言った。この本の草稿を読んで助言の結論は、タイトルから内容まで、この本は読者の目を引くことができないということだった。それでも私は1964年を諦めなかった。

私の義理のお父さんは1964年に結婚し,その年の冬に私の家内がが生まれた。お父さんは済州島の貧しい農村で農業を営みながら自力で成功した人だ。その時のことを尋ねると自分が生きてきたつらい時間をすらすらと解いてくれる。その時の大統領である朴正煕のセマウル運動(新町作り運動)当時、彼は村の開発委員会に所属し、園芸作目班長を務めた。公民館では朝夕に町のアナウンスがあった。「豊かに暮らそう」という歌を聞きながら彼は畑と家を行き来し、勤勉と誠実が実を結びついに貧困から逃れることができた。私は済州島の「農村近代化」の生き証人として彼の話を興味深く聞く。

義父は朴正煕(パク·ジョンヒ)大統領の経済開発5カ年計画とセマウル運動(1970年代から始まった汎国民的な地域社会開発運動)をよく思い浮かべるが、特に貧困から脱出したいと思って立てた自分流の「経済開発5カ年計画」を誇らしく思う。 「経済開発5カ年計画」は朴正熙(パク·チョンヒ)元大統領の国家運営方針だったが、大統領の経済開発計画は農業以外に選択肢のなかった貧しい若者のロールモデルにもなったのだ。
彼の自分史を聞いていると、私は彼がセマウル時代の農夫として朴正煕の時を共に生きたことを感じたりした。貧しい済州(チェジュ)の農夫が新しい巣を作って家庭を築いた1964年と、貧しい国の大統領として新しい国を作ろうとした朴正熙(パク·チョンヒ)の1964年は妙に絡み合う。義父が貧困から脱するために実践した家庭経済の計画が、朴正熙(パク·チョンヒ)元大統領の国家経済開発5ヵ年計画からヒントを得たことは言うまでもない。

1964年は第3共和国が始まり、朴正熙(パク·チョンヒ)大統領が本格的に国政を始めた年だ。その年多くの事が起こった 歴史として記憶される事件もあるが、今では忘れられた事件も多い。 事件として大きく扱われはしたものの、歴史的意味を把握することができずにやり過ごしたことも多かった。

私はこの本で1964年に韓国で起きたが、忘れられたことの一つを取り上げる。 それは国に宗教の布教を禁止された事件だ. その事件の根底には、反日感情と類似宗教に対する韓国社会の文化的特徴があった。私は、この事件を通じて、朴正熙が大統領になって国政を運営し始めた1964年はどのような時代であり、その時の国家権力は、国民をどのように扱い、大韓民国をどのような方向に導いたのか、そしてその時代に起こったことが、今の国民にどのような意味を持たさえるのか考えてみよう。(11-13ページ)