字夢のノート(공책)/日本語の勉強屋

수학계획서

자몽미소 2019. 7. 14. 16:01



修学計画書


1. 연구의 배경


 私の故郷である韓国の済州島は最近、たくさんの社会変化を経ていた。朝鮮時代から日本植民地に入るまでは中世封建の長い時間を過ぎた。その時も社会の変化はあったわけだが、植民地に入った以後の済州島は韓国の本土より日本への移住ができて近代化が進んできた。海外に目を向いた人たちの影響から近代文明との接触ができた。済州島の人々は日本や満洲、南洋群島まで足の幅を広げた。日本から済州島に渡って工場や漁業、林業などの産業を興す日本人も増えて来た。そのことによって済州島には以前にはなかった産業活動が形成された。

 太平洋戦争が終わって日本人は日本に戻った。日本に行った済州島民も故郷に戻った。日本に戻っ行った日本人たちは自分の物的財産を済州島に残って戻るべきだった。これは済州島の人には新しい機会になり、日本人からの得た知識や技術は特に有用なものになった。日本から戻った済州島の人々も知識や技術を持ってきたので済州社会には活発な流れができた。もっと良い国と島、即ち、故郷への愛情が溢れた。日本という新世界からの近代文明を故郷に植えるようにしたのだ。しかし、日本から国権を回復しても新しい政府への立場がそれぞれになったせいで、それが済州島の4.3事件に繋がった。また、朝鮮戦争が勃発、韓国の全体が戦争地になってしまって人々の苦しみや葛藤が続いた。

 新しい島を作ろうとした人々の全滅、残った財産の破壊で済州島はもっと一家の災難が止まらなかった。国内戦争といわれる4.3事件と朝鮮戦争は7年間続いた。その中、人々の守ってきた伝統意識や風習、島なりの文化は変わって、変わる速度も速かった。

 それに付け加えて、1970年代になったら韓国政府は経済開発の名目で全国の土地を建設させる。新しい村作り運動は村の変化を加速化させた。昔のものは不変なことだと考えられ、藁ぶきの屋根をつぶして新しい家がつくられ、長い期間、村の精神的な根幹になった風習も壊された。そのなかの一つが葬儀における政府の干渉である。政府は家庭儀礼簡素化を代国民運動に変わっていく一方で、今までの伝統的葬式を虚礼虚飾というラベルを張りつけながら強制した。これは環境とか世界の流れによっての変化ではなく、政府の一方的指導で発生した伝統へんかである。


2.研究の目的

 私は植民地や戦争でも急には変わらなかった伝統的葬式が1970年代に政府の力で変わることに目を向くことにする。その時、済州島の人々は政府の政策になぜ協力したか。協力する必要するがあったか。またはそれに抵抗感を持っていなかったか。政府の政策は人々の間で何をを変わされて、変わらなかったのは何かに疑問を持つことからはじまる。

 時代の流れに人々が変化を選択するのはそれになんの魅力があったに違いない。そして、葬式に対する変化の様相を調べてみたらこの島の人々が葬式文化の中で捨てること、捨てないことが分かるだろう。または、人々の選択の中にある、基本的な生き方が分かるだろう。変化の選択の間に住んでいる島の人々の生活文化に決して変化にならないものも発見だろうになろうとおもう。


3.研究の全開と方法

 このけんきゅうのために私は、他所の人の視線を持つことにする。そして、済州島の原住民でありながら島のことを世界の島々の一つの島で観察するのが必要だ。それから、他所の人の見慣れない目線ができると思う。具体的な研究方法として私は島の人々を会うこと、その人々から経験を聞くこと、質問して疑問を溶かすこと、それをインタビュうの資料として利用することをおもう。また、世界の島々の葬儀と韓国の本土の葬儀を調べること、その地域と済州島の間にある共通点と違う点を探してこの島を説明の時の資料で使うことを思っている。


4.研究の限界

  しかし、今の私はこの研究の分岐が社会学科の学文になるか、文化人類学になるかはっきり知らないうちにいる。または、その分野の本も教養書籍だけを読んでいるなか、日本の本ではさらに少ないので、基本的な知識がその分、頑張るべきだ。

の研究計画は実の研究場では間違いが出てくるかもしれない。私の日本語の限界で適切な資料探しが足りない恐れがある。

 



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