字夢のノート(공책)/日本語の勉強屋

お母さんの心がよみがえる・・・3年間の作文練習(1)

자몽미소 2016. 7. 26. 13:35


1.お母さんの心がよみがえる


本の出版のため出版社とのやり取りをしているうちに彼女の死亡の便りを聞いた。

今から4年前、2012年の夏の事だった。

信じられなくて自分の耳が疑わしかった。私は本の出版のめ、何回も彼女の声を聞いていたので彼女が死んだ事なん想像すら出来なかった。それでも彼女はなくなって、その便りから初めて会った時の力強く声が力強く蘇生した。

 

先生は会員ですか

いいえ、私は会員ではありません。ただし、この学会の研究者です。

そしたら、私が折伏します。

 

<在日韓国人と創価学会>の主題で本を書くつもりで、在日韓国人会ってインタビュを始まったのは、2006年の夏の事だった。信濃町にある創価学会の広報室で会った平山さんは インタビュを終わった後、主人に学会会員に入る事を勧めた。とても確信にあふれたが有った折伏で勧めだったので今から友達になろうよと聞いた時と同じく嬉しかった。

 

その年の冬に私たちはもう1回会うことえるようになった。彼女は我々を自分の焼肉店に案内してくれた。しかし2回目逢った2006年の冬が最後の集まりになるとはまったく思っていなかった。彼女は身体に癌が見つかって手術を受けたと言った。

それでも、私、負けないです。と明る表情で言った。

彼女は明日の運動会で走り比べをする子供みたいに自分の体に起きた病にいやな気持ちではなく一緒に走ろうと声を掛けるような姿だった。その表情と声からは体の中に居る癌が怖い存在ではない、自分を攻撃するものではないと信じていると思われた。彼女が癌に負けないと信じているので、私もその癌が怖くなかった。

 

然し、その癌は3年後、我の家に訪問した。主人の体にはこぶし大くらいの癌の塊が出来てしまった。それを発見した時はあまりにも遅かったので手術もすでに危ない状態になった。

 

救急室に運ばれて,医者の緊迫な判断で手術を決まったので主人の兄弟にも連絡するゆとりがなかった。手術室の前で私と息子の二人だけが手術室の扉に目を留めて、生き死の間を迷っている主人のことを思った。もしかしたら死ぬかも知れない。3時間の手術時間の間、主人じゃない私が生き死の間を迷っていた。その時だった。力を入れた声で 私、負けないですいう彼女の声思い出した。私は彼女会った時、贈り物で貰った創価学会のねんじゅを鞄から取り出して題目を始まった。私は会員じゃなくても題目をした。その後主人は無事に元気になって前の健康原稿に戻られ、<在日韓国人と創価学会>の本を出版することようになった。

 

幼いころ戦場になった韓国から日本に逃げて息を殺しながら生きてきた自分の人生を彼女は波乱万丈の人生だったと表現した。

50年代、住んでいた故郷は貧乏な所、食べ物にも困り、栄養失調になってった病気そのせいで学校に通うことも、勉強することもできない、先が見えない青春時代だった。、彼女は母の意見を受けて日本に密航した。それでそれから新しい処での思わぬ困難が待っていた。

いろんな紆余曲折があり、困り果て彼女は創価学会に出会ったを会った波乱万丈の人生に光当てる、宿命転換を迎えた。私たちと会ったそのころ、彼女は5の店を経営していた。女性の一人の力でそれはとても難しい事だったが彼女は自分の苦労を乗り越えた。

 

彼女の夢を聞いた。60歳が過ぎた彼女の夢は少女時代の故郷に向き合っていた。その理由について彼女はこんなした。

故郷のお母さんたちに勉強できる場所をあげたいです。だからそれで故郷に文化会館を作ることが私の夢です。私は今までお金のためにだめで苦労したことがたくさんあったけれど、ただお金のだめだけ生きてはこなかったです

私にあるお金は他の人にも役に立つように祈りしました。そして今度、故郷にいるお母さんたちに、宿命転換の機会をあげたいです。人は学ばなくては人生に負けるんです。自分の心を綺麗にしながら人会って、生きている間に知恵が出てくるんですね。それは私の経験です。池田先生の話を聞き,仏法のお言葉を勉強するうちに私の心が綺麗になって自分の人生にも成功の道が開けたと思います。

 

先月、主人と私、主人のゼミの学生達と彼女故郷に立てた文化会館に行ってきた。建物の前には彼女の名前刻みつけた標石があった。彼女の夢が形になって人を迎えている。集まった人々に素晴らしい言葉を語りかけている。“仏法の知恵と生きていたら負けないです。宿命転換は必ずできるよ。”と。今、私はいつの間にか彼女の声が自分の心に刻みついたつけた気がした。励ましを送るするお母さんの声聞こえる。故郷に仏法勉強の場所を作ろうとした彼女の夢が実現した事を見ながら、負けない人生の秘密を学んだ.