字夢のノート(공책)/日本語の勉強屋

夢を繋ぐ梯子ー 3年間の作文練習(2)

자몽미소 2016. 8. 16. 18:09

梯子  

 前平山さんからはえるについて印象けってった。

彼女しむ人生物語だが相手えるがあった。それは“宿命転換”の言葉があったからだたとった。かい表情るい態度はその価学会会員たちにをうたびにえた。会員になるはどうだったからないけれど、かに会員せな人生ろうとするやるがあったとわれた。それでうえるうのだ。会員は、、“宿命転換”をしているのではないか、と。それ来、その言葉にもみこみれめた。みがるたびに、前向きにきるよう自分えを転換した

 宿命転換からって自分えの転換をしたつはだった。

は20からしたなのだ.し,はそのまましてしまった。すったよりてたしい。かを放棄するずあれやこれやいいがある。もずっともっともらしいをつけながら、まできてきた。言葉えたら、成功理由より、失敗がたくさんあるをしてた。

 のうまれのにとって一番ときめいたのソウルのだった。両親長女だからこそソウルのしくした。長女じゃない長男だったらする理由はなかった。両親にはお余裕もあったからだ。しかし、そのおのソウルの学費にはしたくなかったのだ。で、男女差別けたとう.けど,80年代文化女性なら男性るのが基本的だった。そんなった家庭囲気につられて学生時代ったさなたこともなかったようにいらしいててしまった。両親意見られて、子供のわがままのようわれてしまったのだ。しい放棄をしながら両親にはみもてあまりくなかった。勿論、それは 時間がたってぼやけただが、かをしがったらだめになるんだなと自分自身不信感た。

 私性格囲気とか敏感だったしたので、そのしいがあってもしいだとわれたら、ぐにしいわってしまった。自分のためにのすべてをれ、れるタイプではかった。

 しかし、そのまままでの自分えわりたい気持ちになった。価学会会員宿命転換みながら、るんじゃないかとめた。

 それが具体的たのは,オリンピックであった。 

 4年後東京世界オリンピックが開催される予定なのだ。

 選手ではない東京オリンピックがとてもになっている。なぜかとうとその東京オリンピックは2回番目日本のオリンピックだからだ。オリンピックが2回番目になるというのは1回番目のオリンピックが1964にあったことからだ。このことはにはとても 意味があることだった

 1964昭和39めて日本るようになった。日本語うためった教室自己紹介まれを1964だとったら、年上たちはぐに、ああ、昭和39だとして返事をしてくれた。自分息子とかまれだとんでくれたもたくさんいた。それで、そのから自己紹介昭和39年生まれ、東京オリンピックのまれの表現ることになったのだ。2013世界オリンピック委員は2020のオリンピックの開催地東京めたとえた。そのいた奇妙気持ちになった。ひとつのつの幸運えた。

 それなら、人生でも二番目があってもいいじゃないか。1964東京オリンピックとのうまれた、2020東京オリンピックとまれわるぎながら、てたしてかえてみる。2020なら、主人仕事から定年退職退なのでからは主人仕事ではなくのため、しいができる。そうだ、おオリンピックがかれる日本をしよう.2回番目のオリンピックののところでももう一度ろう。そのこうにがあるか、はそんなえの必要いだろう。オリンピックの準備をしている選手みたいに、学生必要素養てることが一番だろう。ってなんかって、と批判されることについても意味説得すべきだろう。のいろんなみを想像するより、に、宿命転換させられる信念かめるべなのだ。

 幼頃持ったを4年後日本開花させられるよう決心した。宿命転換梯子てて、それをってゆっくり歩一歩前進するのだ