本の縁
昨日、3月18日にソウルに行って来た。主人の書いた本である、<創価学会と在日韓国人>を中心として宗教活動について話をしたいと連絡があったからだ。既に4年前に出版して、何時の間にか世の中から忘れられた本だが、<創価学会と在日韓国人>に関心を持った人たちがまだいるんだと、感謝したい気持ちになった。あまり人気があった本ではなく、時には内容が難しくて読みにくいとも言われていた。面白くないと思われる研究書なのに声を掛かられてわくわくしながらソウルに行って彼らと逢う事にした。わたしも招待をもらった。実は私は<宿命転換の贈り物>という本の編集者なのに、私も著者と呼んでもらってそれが一番、嬉しかった。
<創価学会と在日韓国人>の出版社によると<創価学会と在日韓国人>は初めの1,000冊の印刷分が全部販売されて二回目の印刷をしたと聞いた。だが、<宿命転換の贈り物>は印刷した1,000冊のなか300冊しか販売されなかったことも分かった。わたしはその話を聞いた後、その出版社に経済的に迷惑を掛けたと思ってきた。一般の多くの人も読みたくなるようにもっと編集をしなければいけなかった。それが出来ずに本になってしまったと考えていた。
本の中の主人公である会員たち、仏法の信心で宿命転換をした彼らの人生は私には感銘を受けられる話だが、話が文章になって、それが又、本の形になってから、韓国の人たちには人気が無い本になってしまったことで気持ちが沈んだ。また、韓国の出版事情では研究書なら売れない本になる可能性が高い。人の話が本の形で世の中に出てくることは意味があるけれど、売れない本になったら 出版社に被害を掛けることになる。それでこれからは、私たちの研究書出版で他人に迷惑をかけないようにと決心した。その後、私一人の出版社を作ろうと思って、昨年の春、その通りにした。
今年の一月、私の娘のための本である<隠れた郵便ポスト>を私の出版社で作った。この本も余り売れる本ではないので500冊だけを印刷した。始めての出版社なのでオンライン書店で売ることも出来ず、私が住んでいる地方の本屋には私の方が照れくさくて私の本をお願いする口火を切られなかった。始めての本であり、売る目的で作った本ではないので、ほとんどの本を知り合いにプレゼントであげた。そしたら,本を読んだ知り合いから本の感想が届いた。私の過去の歴史をよく理解したとか、私の苦しみを読んで涙を流したとも話してくれた。励まそうとする言葉で感想文を読む私の目にも涙が出てきた。私の経験が文章に換わって、それがまた本に換わったことで、新しい物語が生まれていくように感じた。悪い事がいつも悪いことでもないし、苦しみの経験も何時かはそのことの意味が分かる時期が来る。
私がソウルに行くことを友だちに知らせしたら、友だちの友人二人がわたしに会いたいと伝えてきたので一泊だけ早く行って四人で会う約束をした。会ってみたら、その二人は私とは初対面だったが本を読んでいて、すぐに親しくなった。お茶を飲みながら、本に書いた以外のことも話すうちに、彼女たちは自分の人生の苦しみも自然に話してくれた。おかげで、50代のおばさん達は長い間、付き合ってきた人たちみたいになって、遅い時間まで話の花を咲かせた。本の中に私の心を入れたから、それを読む彼女たちも自分の人生のいろんなことを重ね、そこから新しい関係が繋がったのだ。本になったから、あまり納得が出来なかった私の過去を理解して貰い、自分のこともつまびらかに話してくれる人たちと逢えることになったのだ。販売してお金を稼ぐこととは性格がぜんぜん違うことを得ることができた。
主人と私を招待してくれたのは創価学会の研究者の集まりだった。定期的に会ってアカデミー活動をしているメンバー達が、今回は主人が書いた本を読んで著者との読書会を開いた。本を読んだ後の感想は勿論、本の内容について批判と疑問を率直に話す討論会に参加した。彼らの話と主人の話はよく合致した。 討論会が終わった後、この先も供に出来る事があるとお互いに信じた。韓国のSGIにこのような立派な人たちが集まっているのに、韓国の世論には日本の宗教だと知って、今までも自分の偏見を持って創価学会と会員をみる韓国人がたくさんいる。人間と社会と世界の平和をどう実現するか考える創価学会のことが人々によく伝わらない事はもったいない。けれども、学会の会員は正しいことを知らせるため、各分野で頑張っている。主人の本に関心を持って、研究者と話したいと連絡することも学会の活発な活動の一つなのだ。 今回の集まりは文章造りに少し、力が疲れていた私たちに、新しい意欲を与えてくれたのは勿論だった。
先週は特に嬉しい便りが届いた。アメリカに住んでいる友人からだった。彼女にも私の本を贈ったので彼女からの国際電話で私が最近書いた本の話が話題になった。とてもお金が掛かる高い読後感を彼女から聞いた。しかし、彼女が話したいことはもっと特別なことだった。
彼女は10年前、結婚をして旦那の家があるアメリカに行った後の何年間、心が通う友だちが欲しかったが、それができなかった。韓国人なのに韓国人女性とは特に話が合わなかった。大体、韓国人同士はキリスト教会堂に通う人たちで、彼女にも教会堂に行くことを誘った。そのうち、始まったヨーガ運動の集まりで逢った日本人とは話が合った。新しい友達は創価学会の会員。結婚と供にアメリカに移住した日本人女性だった。彼女は前から創価学会のことを私たちの本を読んで知っているし、私たちが日本にいた2013年の春には、家族旅行として日本にきて、私たちを訪問して創価大学にも来た事があった。アメリカに住んでいる韓国人と日本人である二人は時にはヨーガの話もしながら創価学会の話もしていた。お互いに相手の言葉が話せなくて、外国語である英語で話したが、沢山の対話のなかでヨーガと創価学会の精神が通じると思った。
最近のある日、彼女は自分の日本人友だちに私の本の内容を話した。それを聞いた彼女の友人はビックリしながら、創価学会の活動について話してくれた。その内容は世界の女性に当てはまる問題だった。アメリカには外国から移民してきた夫婦がいる。しかし、その夫婦が別れて、離婚する時はアメリカの法律からは離婚された女性についての応援があまりできない。その問題があるので、自由の国であるアメリカで不自由な状態になってしまい、それで苦しい夫婦関係から脱することも難しくなってしまうのだ。
私の本に書いた経験は、そのアメリカで苦しんでいた女性たちと共通点がある。難しくても個人の権利を得るため、外国のアメリカで離婚した外国人女性たち、一人ぽちで外国で生計を立てなければならない彼女たちに力を与えるのは大事なことだ。それで、アメリカ創価学会の女性部が集まって、題目をあげながら、アメリカの法律変更を政府に要求している。 弱い存在である外国の女性に関心を持って、人間としての権利回復が出来れるようにする事が人間革命であり、宿命転換であるのだ。心を合わせる信心の美しさが、団体の力に成って、社会の隅にいた生命を助けることになる。アメリカ創価学会の女性活動について話した後、私の友人が嬉しそうに言った。”あなたの本をアメリカにまた、送ってください、少しづつ韓国語を習っていた日本人の彼女が最近は韓国語の本が読めるようになったので、プレゼントしたいからです”、と。
彼女とは私の因縁はブログをした12年前からだった。私より15歳、年下なので、韓国式で私は姉さんと呼ばれた。彼女は私のブログの中のある文章に眼と心が引きつけられたと話した事があった。文章が人間関係の縁を作ってくれた。彼女は私が娘を捜していたあいだ、心落ち込んでいる時にアメリカから国際電話をしながら私を支えてくれた。今回の私の本の中には彼女の文章も入れていた。そのくらい私たちの縁は深い。
私は<創価学会と在日韓国人>、<宿命転換の贈り物>、<隠れた郵便ポスト>を2冊ずつ、6冊の本をアメリカに送った。本が取り持つ縁が海を渡っていくような気がした。時間を経てもぼやけない事、見えるお金では測れない事が 本の中にはあるとも思った。
また、2013年に出版した、<宿命転換の贈り物>が余り売れなかったことを考えてみた。その段階で私のすべての実力が確かに足りなかった。今、書店でよく売れている他人の本を読みながらそれを認めた。もっと付き合ってからインタビュをして、人の心中のいろんな話を他人にも理解できるように文章を作る事が必要だった。以前の私の実力では無理だったが、この先もいつも気をつけなければならないことだ。そして、本の縁の大事さを分かっている今、するべきことは自らの教育なのだ。文章造りと編集者として力を育てるため、本を読んで、沢山の場所を見ながら意味を考えることは、いつも何処かでも欠かせないことだろう。
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