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法華経からの夢
先月、ソウルにある韓国SGIが開催している法華経展を観に行ってきた。
KSGIの会館の並びにある、池田記念講堂には展示を案内する大きな掛け絵が掲げられていた。周辺の道を歩いている人々にも法華経について関心が生まれて展示も見たくなるだろうと思われた。
展示場である池田記念講堂の姿も立派だった。展示企画は一年を掛けて準備をしたそうだ。青年部が中心となって勉強しながら今回の展示が可能になった。案内を貰いながら展示が行われている講堂の中に入ると、たくさんの人がこの展示を見るために集まっていた。貴重な展示会に来たと感じた。順番を待ちながら興味深くなった。でも同時に気軽に見に来たことを、私は後悔した。
展示のガイドブックにはこの展示が平和と共生のメッセージを伝えるものだと書いていた。他の宗教でもそんなメッセージはあるけれど、今回の展示のように経典そのものを一般の人々に見せる事は珍しいことだろうと思った。
展示された仏教の歩みは想像以上だった。展示は、仏教をめぐる世界の歴史が整理され、その中でも法華経が持つ意味が説明されていた。世界各地で発見された沢山の経典写本は私にとっては見たことも聞いたことも無かったのでびっくりした。経典の文章を見ながらそのまま書く、写経の事は今も他の宗教でもあると知っていた。だが、法華経の写本展示は人間って何かを考えるようにさせた。
とっくの昔から人々がしていた写経は人間が持っている宗教への本能かと思った。昔には紙が無かったので、あるいは石に、あるいは柱頭に、あるいは木の皮にも経典の内容を書いておいた。その作業は技術的にも難しい事で、その時代なら特別な人間しか出来ないことだろう。でもそれをして残す、それが今の私の目の前にある。何にか神秘感に囲まれた。
こんなふうに法華経は人々の心に影響が深かった事が分かった。また、文字だけではなく、洞窟の中にも法華経の内容が描かれた。長い時間を掛けて表現した洞窟絵は、現代の人々に発見されるまでには長い時間を洞窟中で静かに過ごした。それでも一緒にあった、たくさんの文書も価値が高いもので,発見されて以来、その場所は世界の有名な観光地になった。宗教の文化が世界歴史と供に流れてきて、今、更に光を放っていた。
法華経という単語は私が創価学会を知って以来,ずっと聞いていた。ところが展示を見るうちに、今までは何も解からなかったのだと思えた。
また、私が注目した一人の人物はクマラスプ(鳩摩羅什)だった。彼は故郷を離れた後、帰国途中、異国に囚われの身となった。その18年間、彼はサンスクリット語の経典を異国の言葉である漢語で翻訳した。彼の翻訳は理解し易いし、中国詩語の美しい表現が使われて、素敵な翻訳書になった。彼の法華経翻訳は清い山の上で下を見るようなものと言われたそうだ。
日本語を学び,たまには韓国語で翻訳してみる私にクマラスプ(鳩摩羅什)のことは昔の話として聞けなかった。長くても最近100年の間に生きていた人物のように感じられた。その人の学ぶ姿勢、自分が置かれた環境を乗り越える精神、価値を生かす生き方が見えた。個人の実力を磨き、沢山の人に実を挙げることになった法華経翻訳なのだ。それはまた、世界の各地、韓国やら日本やらに仏法を伝える結果になった。
展示会を見て帰った後、たまにクマラスプ(鳩摩羅什)の翻訳を思い出した。私の日本語も何時か良い翻訳になるにちがいないと、期待と希望を持ったので、環境を乗り越える勇気も出そうと思った。その思いためか、ある日は寝ている時に夢をみた。逢いたいと思った人を夢でみた。
夢の彼は、10年前、神戸でインタビューをした長谷川さんだった。その時、彼は現実を変えられると信じて創価学会に入信したと話した。在日だから選挙権は無かったが、公明党を支持していたそうだ。公明党が教育と福祉を大事にする政治活動をしていたと、彼は明るい声で話してくれた。それ以外も彼とはいろんな話をした。又、お会いしましょうと言いながら別れたが、会えずに10年が過ぎた。私の記憶には彼の印象が残っていた。それは何しても明るさ。
夢でも私は彼に会いに行った。10年前は研究のインタビューをしていた主人と供に行ったが、今回は別のグループのゼミ学生たちと行った。彼が住んでいる町は昔の在日韓国人の村らしく、古い家が並び、電車はたまにしか通らない町だった。彼は小さい工場を経営している、一人の会社の社長だった。私たちのゼミの一人の学生が時計にもなるし、ピアノにもなる音楽器を持って行って、彼に直してくれるようお願いした。彼が工場の機械を回りながらピアノにも見えるし、時計にも見える音楽器に手を掛けた。その時、私に彼の足が見えた。足は事故かどうかで失っていたようだ。彼の今の足は鉄で作られた義足だった。その小さい足がキラキラ光りながらペダルを踏み、いつの間にか音楽器が直された。学生が喜び、彼の腕に感動した。彼の表情にはどんな物でも直せる技術を身に着けた自信感がだっぷりだった。
義足になった悲しさに負けなくて素敵な実力者になったねと思った。そして10年前と同じく明るい人だねとも思いながら私の夢は別の町に走った。その後の夢は目覚ましながら消えてしまった。
仏法の世界は長くて深い、さすがに人間の生き方にしみこんでいると思った。同時に洞窟中に絵描きしていた昔の人々を思い出した。その人たちは長い時間が流れた後、自分の絵がある場所が世界の有名な観光地になろうとは思わなかっただろう。絵の中で表現された仏法の話に感銘を受ける人たちが増え続けることも知らなかったはずだ。私達が今の事の未来の価値を知らないことみたいに。でも、その時の作業者たちは自分の絵に心を込めたので、現代の人間にも感動が伝わるんだ。クマラスプ(鳩摩羅什)の翻訳も同じ、自分がしている事に誠に向きあった人物の結果だった。私の夢で二度目にあった、在日の長谷川さんのことも創価学会の信心を通して作られた印象だろう。何をしても専念してその世界で役に立つ人になる事、それが小さくても価値を作ることになる。
昔の人々から今の人にまで法華経が話していることは、自分が責任を持つ人生の事ではないか。環境を託つより前向きの心で生きること。失敗があっても負けないこと。学びを続けて磨き挙げた腕前を持つこと。これが合わされば自分の人生を自ら立てることが出来るし、その力こそが世界の平和にも繋がると思えた。
法華経からの教えが私の未来にも道を開く気がしている。
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