字夢のノート(공책)/日本語の勉強屋

革命の日ー3年間の作文練習(5)

자몽미소 2016. 12. 9. 16:42

오모가와 상의 교정본



2016 11 작문


革命の日。 


韓国が政治の嵐に巻き込まれてんでしまった。連日、クネ大統領と彼女の友人が引き起こした犯罪が明かされてい。新聞、テレビ番組はもちろん, SNSのうえでもこの政府と大統領に情けなくなったという声が切れずにない出てくる。広場には人々が集まって、朴クネ大統領の下野と退陣をと、声を張り上げる。その主張の声はどんどん大きくなって、全国的デモになった。全国各地では市民たちが国家品位を落させたぱく大統領に怒っている事を退陣デモで表していた。先週は我家族3人もそのデモ隊に参加した。


 私は、朴に対して“貴方は国家の指導者の資格なんか絶対ない”という気持ちで、市民たちの声に力を合わせた。今までこのような大きなデモは何回もあった。いろんな理由で人々人たちの意見を政府に表明したのだ。しかし然し、今回の韓国民の怒りは今までとは違う。


 朴は大統領という国家的なの力を利用して企業からお金を取り集めた。外の言葉(表向き)は国家社業というんだが、裏側(実際)には朴クネ本人と友人のために作られた募金裏金だった。そぱく大統領の友人でごく普通人物が国家の事をかき回した。その人の存在を知ってきてから次々と知らされる事実に 国民は呆然した。以外にも毎日、新しい問題が現れて(判明して)その数は数え切れないを数えない。国民はぱく政権の隠されていた正しくない事を次々と知るうちに心が曇ってる。


 今年の秋、韓国民はこれが国か、どうしてこの国はこんなことになってしまったか、と言う感じ(思い)で途方に暮れる。それで(そのため)心にはどんどん恥ずかしさが出て(湧いて)きて世界の人々に我の国顔を上げられないという気分になった。その中、なぜこの国はそんな人を大統領で選んだ疑問が出て来た。ある評論家はこの国の歴史のなかで出来た(作られた)雰囲気が問題だったと言った。それは大統領選挙の時、お父さんである元大統領の事をよいイメージで見ている人々の投票が今の大統領を作ったと。朴元大統領は貧乏の国を起こして(再興して)、その国民にご飯を食べさせられるようにしとの業績があり、彼こそが一番の指導者だっと信じていた国民が娘である朴クネに再び権力を捧げたと。


 


 そんな国民一人である私のお父さんも朴元大統領にとことん惚れていた。朴元大統領は軍事革命によるをして政治を始めてしてから国家経済復興計画を発表した。それを真似してお父さんも我が家の経済計画を立てた。お父さんの目標であり夢だったにもなるのは私の故郷のその村で一番のお金持ちになる事だった。成功するまではと言う決心で自分の頭も刑務所の囚人みたいに丸刈りしたお父さん。目標したお金を貯めるまで一切の贅沢を許さなかったのだ。お金が出来たら全部貯金したので、韓国では毎年すべき儒教式先祖の命日も止めろとお母さんに命令した。金を貯める時まではお金を払う事何も出来なかった母さんはとても困ったそうだ。親戚たちはそのくらい強い心を持って(とても強情で)ていて人情味さえないお父さんを変な人と思ったそうだ。


 韓国は大統領が言った通り経済成功を果たした。我が家もお父さんが目標したとおり、どんどんお金が貯っためられた。畑が増え、貯金も沢山になった。成功を経験してからお父さんは世の中のどんな宗教より自分自身を信じた。問題は家族にも自分の行き方と考えかたを詰め込もうとしたことであった。


 “成功お金、 一等スピード”はお父さんの口からいつも出てくる言葉だった。その言葉は朴元大統領の時代の言葉であった。そして、その時代の韓国民に深く根付いた押し込んだ精神にもなった。余りよくない心が国家の文化になっていった変わって行った


 


 生まれたから大統領はっと朴元大統領だった私にとってその言葉とその文化に囲まれて育ったちした


 小学校一年生の運動会のことは今まででも心に残っていて、その時の不安感生き生き思い出す。田舎の学校での運動会は村の祭りにもなっていたその時、村の人々は運動場を丸く囲んで子供たちを応援した。運動会の日私の両親も私を応援するためお弁当を作って持ってきた。しかし然し、私は友だちたちと遊びながらもとても心配だった。その日に編成された競走ためだった。誰かと競争する事嫌いした性格でみんなが走って最後はランキング付くことも嫌いだった。だが、その日、心配した実の理由は別あった。


 前日、先日,お父さんは私を座らせて明日の競走の方法を教えてくれた。それは先生にも何回教えてもらった事だった。問題は先生とお父さんの教えが、まったく絶対反対だったの方向にあった


 走り始めて少しすると、二人の生徒が引っ張っている縄があって、その縄にはお菓子が下げてる。走る人はそのお菓子を取ってゴールインまでまた走る。重要なことはそのお菓子を取る方法だった。先生は両手を背の後ろに置いて顔を空に向たまま口でお菓子を取ろうと、それが正しい方法ルール)だと教えた。だが、お父さんは先生が話した通りするのは馬鹿だと教えた。で、私には両手を背の後ろにしなくて絶対に口ではなく両手でお菓子を取ること、又、速く走ることを教えたのだ。誰が正しのか。私の胸では先生とお父さんの声が戦(戦い)になった。


 


 いよいよ私が走らなきゃならない順番になった。お菓子がある線の前は私の村の大人たちが集まっているその中に私を観ているお父さんと母さんもいる。それを意識している私の胸はどきどきわくわくして堪らない。走ってそのお菓子の線まで着いた時私より速く走ってきて手でお菓子を取た友達がいた。その子が口ではなく手でお菓子を取る瞬間、大人たちから褒める声が聞こえた。‘の子、頭がいいね’、その子の後ろにいた私は先生よりお父さんを選択してしまった。それしなきゃお父さんからの非難が怖かった。村の大人から馬鹿だと笑いものにる恐れもあった。先生の教えを無視したその子は一等になって、私は二等になっをした。ランキングの線で見たら、友ちのなかで先生が言った通りする人は誰も優勝できなかった。正しい方法(ルール)を守るでする子供には可愛そうなので前で応援していた大人が大きい声で叫んだびをした。“手で取ろう”って。


 


 運動会が終わった後に、先生から悪い事だっと言われると思ったが、先生は運動会でのそのことについて何も言わなかった。しかし然し、わたしは先生の顔を見るたびに恥ずかしかった。それ以来、正しくない事でもともかく成功させたら、賢い人だと言われることをよく見ながら大人になった。韓国の社会には正義の道を選んだら失敗した人生になるという雰囲気も出て来た。


 


 それで、今の朴大統領と政権の悪いことは韓国が戦後70年の間国民がつくてきたものじゃないかと思う。 “成功するならすべてが大丈夫という雰囲気お金があったらすべてが出来るという社会、 一等になら偉いだっと誤解する人々食堂から会社まで速く」とびする文化”こそが変わらない(終わらない)切れない限り、再び又の朴政権は続いていくだろう。


 どうしたらいいのか、この国の未来はどんな道を歩むのもうか。


 腐っている政治を正しく立て直し立ってて新しい政権と指導者が必要なのだ。で、それを可能するためは先ず個人個人の反省もばならない。個人の生き方としてはどう生きたらいいのか自問質問をして、社会的にはどんな人物が指導者の能力を持っているかについても判断力持つべきだ。今までの過ちから新しい道に向かっていくことをを向いていくのを決心する。そうすれば、変化は来るだろう。


 今は革命の時間。


 幼い頃の私が反省をする、新しい世界を目指す村の大人と学校の先生も決心(決意)を立てる、市民たちが正義を叫ぶ、家庭と社会掛けて変化がくる、革命をした国家の主権も国民に戻る。


 今日は革命の日。11月18日である創価学会創立記念日なのだ



 


*(○○○)は、その直前の言葉を、(○○○)と言い換えてもいいですよ、という提案です。日本語としては言い換えた方が、自然です。例えば、「外の言葉は国家社業という」は、「表向きは国家社業という」と言い換えてもいいし、その方が日本語としては自然だと思います、という意味です。前回までも、同じです。




2016년 12월 9일, 오모가와 상이 교정해 준 원고를 다시 정리함

(수정본 2차)



韓国が政治の嵐に巻き込まれてしまった。連日、クネ大統領と彼女の友人が引き起こした犯罪が明かされてい。新聞、テレビ番組はもちろん SNSのうえでもこの政府と大統領に情けなくなったという声が切れずに出てくる。広場には人々が集まって、朴クネ大統領の下野と退陣に声を張り上げる。その主張の声はどんどん大きくなって、全国的デモになった。全国各地では市民たちが国家品位を落させた大統領に怒っている事を退陣デモで表していた。先週は我家族3人もそのデモ隊に参加した。


 私は、朴に対して“貴方は国家の指導者の資格なんか絶対ない”という気持ちで、市民たちの声に力を合わせた。今までこのような大きなデモは何回もあった。いろんな理由で人々の意見を政府に表明したのだ。しかし、今回の韓国民の怒りは今までとは違う。


 朴は大統領という国家的なの力を利用して企業からお金を取り集めた。表向きは国家事業というんだが、実際には朴クネ本人と友人のために作られた裏金だった。そ大統領の友人でごく普通人物が国家をかき回した。その人の存在を知ってから次々と知らされる事実に 国民は呆然した。毎日、新しい問題が判明してその数は数え切れない。国民は政権の隠されていた正しくない事を次々と知るうちに心が曇ってる。


 今年の秋、韓国民はこれが国か、どうしてこの国はこんなことになってしまったか、と言う思いで途方に暮れる。そのため心にはどんどん恥ずかしさが湧いてきて世界の人々に我の国顔を上げられないという気分になった。その中、なぜこの国はそんな人を大統領で選んだ疑問が出て来た。ある評論家はこの国の歴史のなかで作られた雰囲気が問題だったと言った。それは大統領選挙の時、お父さんである元大統領の事をよいイメージで見ている人々の投票が今の大統領を作ったと。朴元大統領は貧乏の国を再興して、その国民にご飯を食べさせられるようにし業績があり、彼こそが一番の指導者だっと信じていた国民が娘である朴クネに再び権力を捧げたと。 


 そんな国民一人である私のお父さんも朴元大統領にとことん惚れていた。朴元大統領は軍事革命による政治を始めてから国家経済復興計画を発表した。それを真似してお父さんも我が家の経済計画を立てた。お父さんの目標であり夢だったのは私の故郷のその村で一番のお金持ちになる事だった。成功するまではと言う決心で自分の頭も刑務所の囚人みたいに丸刈りしたお父さん。目標したお金を貯めるまで一切の贅沢を許さなかったのだ。お金が出来たら全部貯金したので、韓国では毎年すべき儒教式先祖の命日も止めろとお母さんに命令した。金を貯める時まではお金を払う事何も出来なかった母さんはとても困ったそうだ。親戚たちはそのくらいとても情で人情味さえないお父さんを変な人と思ったそうだ。


 韓国は大統領が言った通り経済成功を果たした。我が家もお父さんが目標したとおり、どんどんお金が貯った。畑が増え、貯金も沢山になった。成功を経験してからお父さんは世の中のどんな宗教より自分自身を信じた。問題は家族にも自分の行き方と考えかたを詰め込もうとしたことであった。


 “成功お金、 一等スピード”はお父さんの口からいつも出てくる言葉だった。その言葉は朴元大統領の時代の言葉であった。そして、その時代の韓国民に深く根付いた精神にもなった。余りよくない心が国家の文化になっていった 


 生まれたから大統領はっと朴元大統領だった私その言葉とその文化に囲まれて育った


 小学校一年生の運動会のことは今でも心に残っていて、その時の不安感生き生き思い出す。田舎の学校での運動会は村の祭りにもなっていたその時、村の人々は運動場を丸く囲んで子供たちを応援した。運動会の日私の両親も私を応援するためお弁当を作って持ってきた。しかし、私は友だちと遊びながらもとても心配だった。その日に編成された競走ためだった。誰かと競争する事嫌い性格でみんなが走って最後はランキング付くことも嫌いだった。だが、その日、心配した実の理由は別あった。


 前日、お父さんは私を座らせて明日の競走の方法を教えてくれた。それは先生にも何回教えてもらった事だった。問題は先生とお父さんの教えが、まったく反対だった


 走り始めて少しすると、二人の生徒が引っ張っている縄があって、その縄にはお菓子が下げてる。走る人はそのお菓子を取ってゴールまでまた走る。重要なことはそのお菓子を取る方法だった。先生は両手を背の後ろに置いて顔を空に向たまま口でお菓子を取ろうと、それが正しいルールだと教えた。だが、お父さんは先生が話した通りするのは馬鹿だと教えた。で、私には両手を背の後ろにしなくて絶対に口ではなく両手でお菓子を取ること、又、速く走ることを教えたのだ。誰が正しのか。私の胸では先生とお父さんの声が戦いになった。

 

 いよいよ私が走らなきゃならない順番になった。お菓子がある線の前は私の村の大人たちが集まっている。その中に私を観ているお父さんと母さんもいる。それを意識している私の胸はどきどきして堪らない。走ってそのお菓子の線まで着いた時私より速く走ってきて手でお菓子を取た友達がいた。その子が口ではなく手でお菓子を取る瞬間、大人たちから褒める声が聞こえた。‘の子、頭がいいね’、その子の後ろにいた私は先生よりお父さんを選択してしまった。それしなきゃお父さんからの非難が怖かった。村の大人から馬鹿だと笑いものにる恐れもあった。先生の教えを無視したその子は一等になって、私は二等になった。ランキングで見たら、友ちのなかで先生が言った通りする人は誰も優勝できなかった。正しいルールを守る子供には可愛そうなので前で応援していた大人が大きい声で叫んだ。“手で取ろう”って。


 運動会が終わった後に、先生から悪い事だっと言われると思ったが、先生は運動会でのそのことについて何も言わなかった。しかし、わたしは先生の顔を見るたびに恥ずかしかった。それ以来、正しくない事でもともかく成功させたら、賢い人だと言われることをよく見ながら大人になった。韓国の社会には正義の道を選んだら失敗した人生になるという雰囲気も出て来た。


 それで、今の朴大統領と政権の悪いことは韓国が戦後70年の間国民がつくてきたものじゃないかと思う。“成功するならすべてが大丈夫という雰囲気お金があったらすべてが出来るという社会、 一等になら偉いと誤解する人々食堂から会社まで速く文化”こそが終わらない限り、再び朴政権は続いていくだろう。


 どうしたらいいのか、この国の未来はどんな道を歩むのか。


 腐っている政治を正しく立て直し新しい政権と指導者が必要なのだ。で、それを可能するためは先ず個人個人の反省もばならない。個人の生き方としてはどう生きたらいいのか自問をして、社会的にはどんな人物が指導者の能力を持っているかについても判断力を持つべきだ。今までの過ちから新しい道に向かっていくことを決心する。そうすれば、変化は来るだろう。


 今は革命の時間。

 幼い頃の私が反省をする、新しい世界を目指す村の大人と学校の先生も決意を立てる、市民たちが正義を叫ぶ、家庭と社会掛けて変化がくる、革命をした国家の主権も国民に戻る。


 今日は革命の日。11月18日である創価学会創立記念日なのだ。






원본(2016년 11월 15일 송고한 1차 원고- 글쓴이 김미정)


韓国が政治の嵐に巻き込んでしまった。連日、ぱクネ大統領と彼女の友人が引き起こした犯罪が明かされていた。新聞、番組はもちろん, SNSのうえでもこの政府と大統領に情けなくなったという声が切れない出てくる。広場には人々が集まって、朴クネ大統領の下野と退陣を張り上げる。その主張の声はどんどん大きくなって、全国的のデモになった。全国各地では市民たちが国家品位を落ちさせたぱく大統領に怒っている事を退陣デモで表していた。先週は我家族3人もそのデモ隊に参加した。

 私は、朴に対して“貴方は国家の指導者の資格なんか絶対ない”という気持ちで、市民たちの声に力を合わせた。今までこのような大きなデモは何回もあった。いろんな理由で人たちの意見を政府に表せたのだ。然し、今回の韓国民の怒りは今までとは違う。

 朴は大統領という国家的なの力を利用して企業からお金を取り集めた。外の言葉は国家事業というんだが、裏側には朴クネ本人と友人のために作られた募金だった。それ上にぱく大統領の友人でごっく普通な人物が国家の事をかき回した。その人の存在を知ってきてから次々と知らせる事実に 国民は呆然した。以外にも毎日、新しい問題が現れてその数を数えない。国民はぱく政権の隠されていた正しくない事を次々と知るうちに心が曇ってる。

 今年の秋、韓国民はこれが国か、どうしてこの国はこんなになってしまったか、と言う感じで途方に暮れる。それで心にはどんどん恥ずかしさが出てきて世界の人々に我の国が顔を上げられないというの気分になった。その中、なぜこの国はそんな人を大統領で選んだか疑問が出て来た。ある評論家はこの国の歴史のなかで出来た雰囲気が問題だったと言った。それは大統領選挙の時、お父さんである元大統領の事をよいイメージで見ている人々の投票が今の大統領を作ったと。朴元大統領は貧乏の国を起こしてその国民にご飯を食べさせられたとの業績があり、彼こそが一番の指導者だっと信じていた国民が娘である朴クネに又の権力を捧げたと。


 そんな国民一人である私のお父さんも朴元大統領にとことん惚れていた。朴元大統領は軍事革命をして政治を始めてしてから国家経済復興計画を発表した。それを真似してお父さんも我が家の経済計画を立てた。お父さんの目標であり夢にもなるのは私の故郷のその村で一番のお金持ちになる事だった。成功するまではと言う決心で自分の頭も刑務所の囚人みたいに丸刈りしたお父さん。目標したお金を貯めるまで一切の贅沢を許さなかったのだ。お金が出来たら全部貯金したので、韓国では毎年するべきの儒教式先祖の命日も止めろとお母さんに命令した。金を貯める時まではお金を払う事を何も出来なかった母さんはとても困ったそうだ。親戚たちはそのくらい強い心を持ていて人情味さえないお父さんを変な人間だっと思ったそうだ。

 韓国は大統領が言った通り経済成功を果たした。我が家もお父さんが目標したとおり、どんどんお金が貯められた。畑が増え、貯金も沢山になった。成功を経験してからお父さんは世の中のどんな宗教より自分自身を信じた。問題は家族にも自分の行き方と考えかたを詰め込もうとしたことであった。

 “成功,お金、 一等,スピード”はお父さんの口からいつも出てくる言葉だった。その言葉は朴元大統領の時代の言葉であった。そして、その時代の韓国民に深く押し込んだ精神にもなった。余りよくない心が国家の文化に変わって行った。


 生まれたから大統領はづっと朴元大統領だった私にとってはその言葉とその文化に囲まれて育ちした。

 小学校の一年生の運動会のことは今まで残っていて、その時の不安感が生き生き思い出す。田舎の学校での運動会は村の祭りにもなったその時、村の人々は運動場を丸く囲んで子供たちを応援した。運動会の日,私の両親も私を応援するため,お弁当を作って持ってきた。然し、私は友たちと遊びながらもとても心配だった。その日に編成された競走ためだった。誰かと競争する事を嫌いした性格で,みんなが走って,最後はランキングを付くことも嫌いだった。だが、その日、心配した実の理由は別であった。

 先日,お父さんは私を座らせて明日の競走の方法を教えてくれた。それは先生にも何回に教えてもらった事だった。問題は先生とお父さんの教えが絶対反対の方向にあった事。

 走り始めて少し後、二人の生徒が引っ張っている縄があって、その縄にはお菓子が下げている。走る人はそのお菓子を取ってゴールインまでまた走る。重要なことはそのお菓子を取る方法だった。先生は両手を背の後ろに置いて顔を空に向いたままお菓子を取ろうと、それが正しい方法だと教えた。だが、お父さんは先生が話した通りするのは馬鹿だと教えた。で、私には両手を背の後ろにしなくて絶対に口ではなく両手でお菓子を取ること、又、速く走ることを教えたのだ。誰が正しのか。私の胸では先生とお父さんの声が戦になった。

 

 いよいよ私が走らなきゃならない順番になった。お菓子がある線の前は私の村の大人たちが集まっている、その中に私を観ているお父さんと母さんもいる。それを意識している私の胸はわくわくして堪らない。走ってそのお菓子の線まで着いた時,私より速く走ってきて手でお菓子を取た友達がいた。その子が口ではなく手でお菓子を取る瞬間、大人たちから褒める声が聞こえた。‘その子、頭がいいね’、その子の後ろにいた私は先生よりお父さんを選択してしまった。それしなきゃお父さんからの非難が怖かった。村の大人から馬鹿だと笑いものにする恐れもあった。先生の教えを無視したその子は一等になって、私は二等をした。ランキングの線で見たら、友たちのなかで先生が言った通りする人は誰も優勝できなかった。正しい方法でする子供には可愛そうなので前で応援していた大人が大きい声で叫びをした。“手で取ろう”って。

 

 運動会が終わった後に、先生から悪い事だっと言われると思ったが、先生は運動会でのそのことについて何も言わなかった。然し、わたしは先生の顔を見るたびに恥ずかしかった。それ以来、正しくない事でもともかく成功させたら、賢い人に言われることをよく見ながら大人になった。韓国の社会には正義の道を選んだら失敗な人生になるという雰囲気も出て来た。


 それで、今の朴大統領と政権の悪いことは韓国が戦後70年の間,国民がつくてきたものじゃないかと思う。 “成功するならすべてが大丈夫という雰囲気,お金があったらすべてが出来るという社会、 一等になら偉いだっと誤解する人々,食堂から会社まで速くを叫びする文化”こそが切れない限り、又の朴政権は続いていくだろう。

 どうしたらいいのか、この国の未来はどんな道を歩もうか。

 腐っている政治を正しく立ってて,新しい政権と指導者が必要なのだ。で、それを可能するためは先ず個人個人の反省も抜けばならない。個人の生き方としてはどう生きたらいいのかの質問をして、社会的にはどんな人物が指導者の能力を持っているかに判断力も持つべきだ。今までの過ちから新しい道を向いていくのを決心する。そうすれば、変化は来るだろう。

 今は革命の時間。

 幼い頃の私が反省をする、新しい世界を目指す村の大人と学校の先生も決心を立ってる、市民たちが正義を叫ぶ、家庭と社会を掛けて変化がくる、革命をした国家の主権も国民に戻る。

 今日は革命の日。11月18日である,創価学会創立記念日なのだ、