主人と供に日本での生活を経験したのは2006年の事なのだ。主人が訪問教授として日本の大学に滞在するようになったので私も同行したのである。半年は八王子で、半年は神戸で生活した。
2013年には同じく訪問教授の機会を得て、創価大学のゲストハウスで一年間住むことが出来た。昨年の夏も、お休みの2ヶ月を、そのゲストハウスで過ごせた。
ゲストハウスは小さな山の中に立てられた形なので,春には桜,夏にはセミ,秋には紅葉,冬には雪に抱かれ,一年中,ずっと美しい季節の豊かさに恵まれた。時期によっては大学の案内放送が聞こえた。学校のさまざまな行事のお知らせが宿舎の台所で皿洗いをしている私に届いた。親切な声に誘われる気がした。案内の詳しい内容は知らないけど声だけで私の胸はわくわくした。まるで、私が20代の歳に戻り、今から何でも出来ると信じられた。
ある時はその放送の声に引かれ、大学のキャンパスを回った。生き生きした声があちこちで上がった。高くて大きな声にびっくりして首を回すとそこにはず、明るい青年達が集まっていた。さわやかな顔と顔。微笑みが流れる。覗いている私さえ微笑が浮かんだ。
最近の私達は身体も精神も少し古くなったなあと思わせるところだった。しかし、昨年の夏に訪問したキャンパスには以前と同じの明るい顔と声が相変わらずあった。学校の活力は禄の木のように腕を伸ばし胸を張っていた。
そのお陰だろう、私たちも生気が出てきて,ある日,朝早く出かけるようになった。大学の周辺を散歩しようと思った。宿舎の外に出て、町に向い坂道を下がる途中、町の方の学生寮から、スポーツウェア姿の学生達が近づいて来た。反対側の運動場に行くのだろうかと思ったとたん、そこから大きな声が走ってきた。
<おはようございます>、お辞儀をする腰が45度だった。一番の前にいた学生の次に二番の学生が、約束したように挨拶。又、三番目の挨拶。又、みんなで大きな声で、挨拶の流れが氾濫した。
いきなりの挨拶で、あわてて私も腰を曲げる。又、曲げる。まるで、小学校の教室の前で、先生と挨拶を習った時のように、何度も声の度に振り向いた。私たちが有名な芸能人でもなったように、手を振りながら、又ね!とするときは、本当にたくさんの人々から愛された気がした。
それなら、その学生達は私達がこの学校に訪問した外国人だと、どこかで聞いたのだろうか、不思議だった。道で人と会っても挨拶なんかしない、顔を知らないならそれは当然だと思うくらい冷静な時代なのに、朝の散歩路で会った私たちに声をかける学生達。私たちが誰かは知らないけど 先ず、あいさつをしてくれる彼らとの出会いはとても嬉しかった。人間関係の冷たい時代になったとしてもその隅には人間に声を掛け、挨拶をして、愛を表せる人間的な意欲が途切れなく流れている事を感じた。
幼い頃の私も挨拶がよく出来る女の子だった。学校で習った事は必ずしようとした私は、町の大人の顔を見るたびにお辞儀をした。学校に行く道、家に帰る道で人を見たら歩く事を止めて挨拶をした。学校で習った正しい姿勢で、大きな声で。
親戚のお爺さんはそんな私を特に可愛がってくれた。村の遠いところからお爺さんが見えたら、遠い距離でまず挨拶をして、会った瞬間の交わす言葉を思った。近くに来たらまた、腰を45度で折った。正しい姿勢で。
大体は “どちらにいらっしゃるんですか”と、私が住んだ島の訛りの挨拶をした。お爺さんは畑の仕事をしに行く道か、畑から帰る道と決まっているはずなのに、同じの質問の挨拶をした。質問の形なのに質問じゃない、挨拶となる言葉だった。それでお爺さんも私の挨拶の質問に、“おおー” と音だけの同じ答えをしながら路の反対側の私に微笑をしてくれた。時によっては私が腰を45度折る前、お爺さんが先ず目礼をしてくれた。その時の微笑が私の胸に滲んで、大人への信頼を育てた。
私が小学校に通った時、村の海岸には兵隊の小隊があった。その中の兵隊さんは朝と夜に入れ替わりながら村の海岸を警備していた。4ー5名の兵隊さんが入れ替わりのため、整然と並び、村の道を通う事は、毎日の風景にもなった。今は兵隊に批判を持った人になったけど、そのごろの私には、その兵隊さんは、私の村、私の島、私の国家のために義務を勤めている、偉い人に見えた。韓国の20歳になった男には義務の入隊がどれほど大変な事かは知らない私は、兵隊達に会ったら尊敬の心を込めた挨拶をした。その時、20代の彼らに田舎の女の子の挨拶はなんだったのか。
彼らは私が学校で習ったとおりの、偉い軍人ではなく、ただの青年に違いない。国家からのやらせた義務をしなきゃならない状態の青年、義務で決められた毎日が早く消えることを求めている若い人々。その人々には夜の海は、北韓の敵が来るかも知れない戦場にも見えたか。彼らの悩みを全然分からない私は、学校で習った通り、挨拶をした。会うたびに、お辞儀の言葉を発しながら、明るい声を掛けた。
坂道で会った、創価大学の学生さんの姿から幼い私を思い出した。その時の私は元気な子供に見えてくる。周辺の人々に声を掛ける事は、心身ともに元気な人を表す事に違いないだろう。人を信頼しているからこそ、先ず、挨拶ができるはずなのだ。それで、私達が大学のキャンパスを回るうちになぜか元気になるのは、そんな理由からだっと思った。
-수정: 2016년 9월 20일
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