字夢のノート(공책)/日本語の勉強屋

計画の女王と三日坊主-3년간의 일본어작문연습( 19번째)

자몽미소 2018. 2. 23. 18:14

2018년 2월 23일, 김미정 쓰다

2018年2月23日、金美廷 書き。


計画の女王と三日坊主

 

 鹿児島に来る前、素晴らしい計画を立てた。2年前から関連の本を読んだり文章を書いたりしながら、私の勉強のテーマをさつま芋に決めた。私の故郷に沢山あった澱粉工場がなくなった事に気づいた。その理由について勉強したい、そのため澱粉のもとであるさつま芋のことも知りたい、幼い頃のさつま芋の畑と其処で働いていた村の人々のことも書いてみたい、そして、後にはその内容を本にまとめられたら、と思うだけでもわくわくした。

さつま芋の発祥地である鹿児島に居る3ヶ月の間に、自分一人でも足を運び、色々ななところに行ってみようと思った。さつま芋は主人の研究テーマとは別だから、今回は私一人の力で現地調査に行こうと考えた計画は、とても素敵に思えた。私は計画を立てるのが好きだ。計画表の絵を描くのも大好きで、それを私のブログに上げるのも楽しみの一つなのだ。私の友達がそんな私に別名をつけた。計画の女王だと。

 鹿児島に着たばかり頃、私は主人と一緒に研究室にきては本を読み、図書館に通いながらさつま芋のことを勉強した。さつま芋の伝来、歴史、加工方法、などなど研究した。居酒屋に行く時は、鹿児島の名物である芋焼酎を会社別に飲んだ。焼酎を勉強してからは、全ての酒のことが知りたくなった。機会があってサントリーのビール工場の見学にも行った。興味はさらに深くなって、勉強すべきものがもっと増えた。

 しかし、鹿児島にはさつま芋以外にも面白いものが沢山あった。まず、セゴドンだった。鹿児島は西郷さんを除いては自慢がないかのように、彼方此方がセゴドンの話しばかりだった。10年前のことだが、映画“最後の侍”を観た事があった。その時の俳優は渡辺健さん。素敵な演技を見せてくれたことを思い出して今回のテレビ番組を見たら、今回の渡辺健は斉彬の役を演じていた。ドラマにはあまり興味がなかったが、日本語の勉強をかねて見るようになった。すると、歴史の背景の知識が必要になり、さつま芋から明治維新の話に移動して本を読んだ。息子が鹿児島に来たときは、鹿児島史の解説者のように、江戸と薩摩藩のことを説明してあげた。

 鹿児島は、散歩の道も良くつくられた都市だ。それで私と主人は鹿児島にいる間、毎日、運動をしようときめた。一日一万歩の基準で歩き続け、主人の太った体に少しづつ変化が現れた。それが嬉しくて、運動が嫌いだった私も少しづつ運動好きになっていく。

 

だが、それから、二ヶ月が過ぎた今。ここに来た時の計画を、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。さつま芋の計画よりもっと大事なこともあった。それは鹿児島にいる間に、今年に出版予定の主人の本を編集することだった。それは出版社の責任者である私にとって、一番重要なことだ。時間がたっぷりあると思って、それを少し後にしようと思ううちに、どんどん順番があとになってしまった。カレンダ-を見たら残りの時間はあまりない。まず、主人の本の編集に入らなくてはいけないことになった。それなら、さつま芋のことは何だったのだろう。

私は、そんな素晴らしい計画は私には似合わないと思うようになってしまった。さつま芋の歴史の本、資料は勿論、社会学的な文章を読むたびに、私の力では出来ないことを希望してしまったと思った。いつも自分ができることよりもっと素晴らしいことを希望しすぎる自分の心も見えた。素敵な結果を望むが、そのための努力はあまりしないタイプの私。心の底には自分に対して甘くなってしまう私がいる。計画の女王と呼ばれる私は、実は三日坊主なのだ。

そのように思うと急に自分がイヤになる。思ったことを黙々と続けられない私の性格も気に入らない。その遺伝子を残した両親も気に入らない。私を高く評判しながら本の編集を任せた主人も気に入らない。いつの間にか、私は誰も気に入らなくなる。自分自身を気に入らない人は、誰のことも気に入るわけがないのだ。

ならば、いち早く本の編集に入ったら良いのに、心の色が悪くなったのでそれができない。そうしているうちに、2018年2月18日、創価学会の鹿児島文化会館で主人の講演会があった。主人が創価学会の研究者であり、私達が鹿児島にいる間に鹿児島の創価学会の会員たちが会いたいと言ってくれたので、文化会館で講演する機会を貰った。私も家族として参加してら、沢山の人たちが集まってくれていて歓迎していただいた。

主人は簡単で下手な日本語で、自分の創価学会の研究経験を話した。私は心配しながら主人の日本語の表現を聴き、集まった人々の表情に目を配った。やはり、話したいことをうまく話せない主人の日本語は簡単すぎる。しかし、聴いている人々は外国人研究者の言葉に心を込めている。

振り返ってみたら、日本語の本は漢字を追って読めるけど、話すことも聞くことも出来ない状態から始まった主人の創価学会の研究だった。その後、私も日本語を習いながら創価学会との縁を結んだ。講演会が終わった後、家に戻ったら、私は元気になっている。不思議な感じだが、気に入らなかった三日坊主の私も受け入れられた。人間ってそんなものじゃないか、時々は馬鹿になるけど、元気に戻るんだからいいじゃないか、と思うようになった。

さつま芋の私の本も、何時か書こう。今からはまた、主人の本の編集に戻ろう。そして、これからも今までしていたように日本語の勉強を続けよう。その日本語で、主人の研究の役に立とうと、新鮮な心に移動した。そうしたら、ピョーンと新しく計画が出て来た。それは、もっと日本語を習って主人の本を日本語で出版すること。その本の翻訳を私がしてみることだった。確かに私は計画の女王だ。この計画を聞いた日本の友達が言った。その本の最後の文章直しは自分がしたい、と。そこで、私の三日坊主はとても丈夫な支え木を得た。三日坊主から三年坊主になったらどうだろうか。全ては計画だが、また私はわくわくしている。