論文要旨
韓国映画にみる障がい者の自我意識と差別の研究
大邱大学 教育大学院
教育学科特殊教育専攻
金 美 廷
指導教授 金 正 権
2000年 12月
この論文は韓国映画の中で障がい者の自我意識と障がい者に対する差別がどのように描かれているかを研究したものだ。映画に描写される世界は現実社会と類似性があり、私たちが実際に生活している世界を反映している。映画の中で障がい者に対する差別意識と否定的な見解、振舞を見た人々はそれを現実の世界だと思う傾向になる。また、それは障がい者の自我意識にも影響を与える。
自我意識は個人が自分自身について持っている価値観である。自我意識は自分が生きている環境との相互作用を通して形成される。このような観点から韓国映画の中で障がい者がどう描写されているかを見ると、韓国の社会全般が持っている障碍者に対する考え方が分かるようになる。同時に映画の中に登場する障がい者の自我意識も覗くことができる。障がい者の自我意識が否定的か肯定的かは韓国の社会の環境によって大きな影響を受けている。本研究では、韓国映画に描かれた障がい者の姿を通して、障がい者の自我意識と環境的要因を分析している。
人間が安心して生活できるようになるためには地域社会の環境と住民の態度が重要な役割を果たす。ところが韓国の状況はまだまだで、障がい者が平等に暮らすための社会的な要件も不十分である。障がい者に対する偏見や差別意識も消えていない。その結果、自己中心的な社会の雰囲気の中で人間の尊厳性より生産性を重視する環境が、障がい者の自我意識を否定的にするのだ。
そこでこの研究の目的は
一、韓国映画に現れる障がい者の自我意識の特徴を調べて、社会との関係を考察すること。
二、映画の社会環境は障がい者の自我意識にどのような影響を及ぼすのか。
三、障がい者の差別が社会の倫理的な問題とどう関連するのか
を分析する。
そのため、本研究では人間は自然の一部分であり、価値の生成者であることを前提とする。このことから韓国映画の障がい者の自我意識と差別を調べる。
まず、1925年から1997年の間に韓国で上映された韓国映画で主人公が障がい者であるものを選んだ。そこでは主人公が持っている障がいの特徴と上映時期、映画のストーリーと時代背景、その時の社会状況はどうだったかを調べた。
その中から障がい者の自我意識と差別を分析する映画を五つ選んだ。主人公の意識が否定的作品三つと肯定的作品二つだ。そして障がい者の自我意識を二つに分けて、その映画の主人公が持っている自我意識の内容を考察した。
映画の原作がいつ作られたか、当時の社会状況はどうだったかを具体的に分析した。まず、肯定的自我意識を持っている主人公は神への感謝、自己への愛情、明るい性格、障がいを乗り越える意志を現している。しかし、否定的な自我意識を持っている主人公は被害妄想、怒り、諦念、自己防御などの特徴が見えることが判明した。そして否定的な自我意識が形成されるようになる理由として映画の中で描かれている差別の模様を明らかにした。
この研究の五つの映画に現れる障がい者の自我意識と差別の様相は下のようだ
一番目の映画のタイトルは <おはよう、神様>(1987年)だ。自己肯定的な主人公と周囲の人たちとの交流が主なテーマだ。しかし、この映画では障がい者の現実的な人生が描かれていない。また監督の障がい者に対する理解不足もあり、障がい者は映画の道具として使われているゆえに、結果的には別の差別になってしまっている。
二番目の映画のタイトルは<オセ岩>(1990年)だ。視覚障がい者である主人公の少年の目が見えるようになるまでの孤軍奮闘を描写した。この映画は目が見えることが正常であることを知らず知らずのうちに強要している。障がい者は異常、非障がい者は正常だという固定観念が見える。
三番目の映画のタイトルは<風の丘を越えて/西便制>(1993年)だ。上映当時、韓国映画史上最大の観客を動員したと言われる。この映画の主人公少女は生まれつきの障がい者ではないが、彼女の父親が娘を歌(パンソリ)の名人にするため、わざと娘の目を見えなくしてしまう話だ。人間は体の一部の機能を失うと別の機能が発達するという俗説を信じた父親はとても暴力的な存在だ。
四番目の映画は<こびとが打ち上げた小さなボール>(1981年)だ。資本主義社会における障がい者家族の話だ。経済開発が進む1970年代の韓国でこの家族の孤立も進んでいく。家族に残されたのは悲惨さと死だけだ。この映画は障がい者の差別が政治、経済政策と関係があることを描いている。
五番目の映画は<唖(アダダ)>(1987年)。朝鮮時代の聴覚障がい者の女性が主人公で家族も社会も彼女の味方にならない状況がよくわかる。自己表現の出来ない主人公は悲劇的人生になる。
障がい者に対する差別は社会の構造を現すものだ。韓国は民主主義社会だといわれるが、障がい者の視点から見ると平等な社会とは言えない。以前から障がい者を惨めな人間として扱ってきた歴史があり、現在でもそのような偏見は残っている。映画の主人公の否定的な自我意識はこのような社会の歴史や文化、または人々の考えや習慣によって形成されることが判明した。韓国映画の分析を通して障がい者の自我意識と社会一般の障がい者への差別意識を浮き彫りにした本研究の結果は下のようになる。
一点目は、韓国映画の障がい者の自我意識は肯定的か否定的の類型で表せる。彼らが属している社会一般が持っている価値観、歴史、政治、経済的な社会の構造に彼らの自我意識は大きな影響を受けている。
二点目は、映画の中に表れた不平等な社会構造は障がい者に対する理解不足を引き起こす。また、偏見を強くしてしまう。それは生きる現場から障がい者を疎外する。また、その疎外が障がい者自身の権利を喪失させ、結果的に障がい者に否定的な自我意識を生み出させている。
三点目は、韓国映画に描かれる主人公の障がい者が持っている自我意識が肯定的か否定的かに関係なく差別的な社会構造は強固であり、しかも変化しにくいように見える。それは障がい者が平等に生きられる社会を目指していながら、現実的には差別意識が根強く残る社会であることを示している。
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